どうすれば立体視を諦められるか
一般的に不可能と言われる6~8歳を過ぎての立体視獲得になぜ挑戦するのか。
その大きな理由は最初の記事「私自身とこのブログについて」でも書きましたが、「エアラインパイロット」という幼い頃からの夢にあります。
制度上、医学上、実現が無理な夢だと頭では理解していても、きっぱりスッキリ諦める、とはなかなかなれず、他の事に打ち込もうとしてもなかなか続かなかったり、自分自身を誤魔化すように日々を過ごしていました。
今でこそ、挑戦に向けて動いていますが、一時期は正反対の「夢を諦めるため」に自分に言い聞かせ、抑え付けていた時期もありました。
「夢を諦めるため」に行動した大学時代
自家用機免許の取得
日本語以外の言葉を使いたいという気持ちや、当時選考していた経営学を学びたいという気持ちから、大学4年生の後期から1年間アメリカに交換留学をしていました。
そうだ、免許を取ろう
アメリカといえば、飛行機大国。国中に大小様々な空港が点在し、自家用機も日本より普及しています。そして、アメリカでは飛行機の免許が日本とは比べ物にならないくらい格安で取得できます(それでも金額自体は高額ですが)。
アメリカ留学中に免許取得の事を思い出した私は、早速大学近くのフライトスクールのいくつかに連絡を取り、最終的に日本人が経営する日本人向けのスクールの門を叩き、大学の授業の合間を縫って半年ほど掛けて無事試験合格、取得に至りました。
なぜ免許を取得しようと思ったのか
もちろん、パイロットの世界に少しでも触れたい、夢に一歩でも近づきたい、という憧れからくる部分も多くありましたが、その裏には
「免許を取れば満足して、他に自分自身がやりたいことが見つかるんじゃないか」
いう期待も同時にありました。しかし、実際には夢を追いかける気持ちが収まることはなく、最終目標のエアラインパイロットになりたい、という気持ちが溢れてきた時
「とはいえ、自家用機の免許は取ったじゃん。それで満足しなよ」
と自分に言い聞かせる場面が増えただけでした。
就職活動での苦悩
アメリカ留学から帰国すると、すぐに就職活動が始まりました。
真っ先に考えたのは航空業界でしたが、活躍するパイロットの姿を近くに見ながら日々を過ごすのは耐えられない、と思い、選択肢から外しました。
では、何をしよう、ということでいわゆる「自己分析」を行い、自分自身に向いている、強みを生かせる仕事を探そうとしましたが、やはり心の奥底では「パイロットになれないから代わりの物を探している」という気持ちが残り続け、悶々とした日々を過ごしていました。
このままでは中途半端に最初の仕事を決めてしまう、と危機感を持った私は、「自分の眼は一生回復しない。パイロットにもなれない」という現実を自分自身突きつけるショック療法に出る事にしました。
何をしたかというと、医師に検査してもらい、「自分には無理だ」という「証明」のために診断書を書いてもらおうと考えたのです。
自分の人生に大きな影響を持つ就職活動。「中途半端な『証明』を得るわけにはいかない」と、書店で斜視についての医学書を読み、ここでダメだと言われたら、納得するしか無いな、という病院に目星をつけ、受診に向かいました・・・。
本日は一旦ここまでにさせていただき、診察の結果や、そこで起きた運命的とも言える出会いなど、病院での出来事はまた次回に!