27歳からの立体視獲得への挑戦

生まれた時から「斜視」「ほぼ弱視」だった私が、27歳から立体視獲得に向けて試行錯誤を始めました

眼科での出会い

前回の記事では、「立体視の獲得が無理な証明」を得るために眼科に出向くに至った背景までお伝えしました。

「私と同じですね」

出向いた眼科で診断書が欲しい旨を伝えると、その理由を尋ねられたので素直にその理由を伝えました。

すると、先生(仮にA先生とします)の口から、予想していなかった

「私と同じですね」

という言葉が。

聞くところによると、A先生も昔パイロットを目指していたものの、身体検査に通らず諦めた過去があるとのこと(症状まで私と同じというわけではありませんでしたが)。本気で目指していたので、その時は飛行機を見たり空港に行くのが嫌でたまらなかったと仰っていました。

その後、自分自身に何が出来るのかを問いかけ続け、医師を志し大学入学からやり直したとのことでした。

A先生は、可能性が少しでも無いかを精密に検査することを約束してくださり、その後、約2時間を掛けありとあらゆる検査を受けました。

そして少しの待ち時間の後、診察室に呼ばれました。

そこに居たのは最初診察をしてくれたパイロットを目指していたA先生ではなく、別の医師でした(より責任ある立場の方のようでした)。

 

 診断結果

結果は、予想していたもののやはり回復の見込みはないとのこと。

結果を告げてくれたのはA先生ではありませんでしたが、診断書は似た境遇を持つA先生の名前で欲しいと依頼したところ、制度上難しいとのことでした。

A先生であれば、今回の受診が私の人生にとって持つ意味を理解した上で、診断と診断書作成をしてくれるのではないか。その上での結果なら私も受け入れられるのではないか、と直感的に思い依頼をしたのですが・・・。

診断結果そのものよりもA先生からの診断書ではなかったという事に残念さと仕方ないという気持ちを感じながら、待合室で会計を待っていました。

 

 A先生の手紙

すると、A先生が診察室から現れ、

「診断書は書けませんでしたが、代わりにこれを」

と、私に折りたたんだ手のひら大の紙を渡してくれました。

 

そこには次のように書いてありました。

「自分の人生は自分で選ぶ。選んだ道を進み続ければそれが自分にとっての正解になります」

 

パイロットの夢を諦め、新たな道を見つけたA先生から、これからの私に向けた励ましの言葉に思えました。

この手紙は、今でも診断書と共にフレームに入れて部屋に飾っています。

 

 そして就職

この手紙以降、まだ「これだ」という自分がやりたいこと、やるべきことには出会えていないけども、少しでも出来そうなことをやってみよう。という考えに変わり、縁あって今の会社(企業向けの研修業)に辿り着きました。

就職後はくじけそうになる場面もありましたが、「自分の選択を正解にするんだ」と、A先生の言葉を思い出し、前に進み続けました。

 

 

しかし・・・。

パイロットの夢から離れることが出来たかに思えていたのですが、結局は「これ以上行動しても無駄、傷つくだけ。」「いつまでも夢を追いかけていないで、大人にならないと」と、自分を理性的に抑え込んでいたに過ぎなかっと気が付いてしまいます。

なぜこの気持ちに気がつき、このタイミングで挑戦することに至ったかはまた別の機会に!